Parce Qu’on Vient de Loin
2007年7月7日 音楽 コメント (1)
corneille / コルネイユ
やっとで出せた。名前がよく聞き取れなくて、レビュー出すのに時間かかってしまった。コルネーヨ、コルネーユ、コルニーヨなど。ラジオの人、もっと聞き取りやすくよろしく。
先月出した『The Birth Of Cornelius / ザ・バース・オブ・コーネリアス』のジャケットの写真、ウィル・スミスに見えるよ。それに収録されてるToo Much Of Everythingも好き。
コルネイユ:1977年ドイツ生まれ、ルワンダ育ち(国籍*カナダ)。現在29歳。
6歳の時両親の故郷であるアフリカのルワンダに移住。
13歳で将来はシンガーになることを決意し、16歳の時には地元の音楽コンテストで最終選考にまで残りましたが、そのすぐあとにルワンダ内戦勃発。
ルワンダの内戦時(1994年)、16-17歳。自分以外の家族全員(両親、兄弟)目の前で殺されてしまう。ソファーに隠れていた彼だけが生き残る。
その後両親の友人を頼りドイツへ。のち、カナダ、モントリオールへ移住。2001年からソロ活動を始め、2002年にカナダで出したデビューアルバム、パスオンヴィアンドロワン(parce q’ on viens de loin)が初ソロアルバム。これがフランスで100万枚を超える大ヒットを記録(フランス音楽史上、ソウル・R&B部門において100万枚を超えるCDセールスを記録したのはコルネイユだけ)。
地元カナダでも権威あるエンターテイメント賞”フェリックス・アワード”においてフェイバリット・メール・アーティストに選ばれた。現在までのCDトータルセールスは170万枚超、カナダ・フランス両国においてプラチナ・アルバムを獲得した唯一のアーティストでもあるコルネイユはフランスをはじめとするEU諸国やカナダでは既にスーパースターとしての地位を確立している。
人道主義者としてカナダ赤十字のスポークスマン、05年にはユニセフ親善大使にも任命され、音楽活動を通じて現在も精力的に活動を続けている。
2007年、満を持して英語アルバムを発表、ここ日本を皮切りにそのスウィートでメロウなサウンドと、愛あるメッセージを全世界へ向けて発信。
やっとで出せた。名前がよく聞き取れなくて、レビュー出すのに時間かかってしまった。コルネーヨ、コルネーユ、コルニーヨなど。ラジオの人、もっと聞き取りやすくよろしく。
先月出した『The Birth Of Cornelius / ザ・バース・オブ・コーネリアス』のジャケットの写真、ウィル・スミスに見えるよ。それに収録されてるToo Much Of Everythingも好き。
コルネイユ:1977年ドイツ生まれ、ルワンダ育ち(国籍*カナダ)。現在29歳。
6歳の時両親の故郷であるアフリカのルワンダに移住。
13歳で将来はシンガーになることを決意し、16歳の時には地元の音楽コンテストで最終選考にまで残りましたが、そのすぐあとにルワンダ内戦勃発。
ルワンダの内戦時(1994年)、16-17歳。自分以外の家族全員(両親、兄弟)目の前で殺されてしまう。ソファーに隠れていた彼だけが生き残る。
その後両親の友人を頼りドイツへ。のち、カナダ、モントリオールへ移住。2001年からソロ活動を始め、2002年にカナダで出したデビューアルバム、パスオンヴィアンドロワン(parce q’ on viens de loin)が初ソロアルバム。これがフランスで100万枚を超える大ヒットを記録(フランス音楽史上、ソウル・R&B部門において100万枚を超えるCDセールスを記録したのはコルネイユだけ)。
地元カナダでも権威あるエンターテイメント賞”フェリックス・アワード”においてフェイバリット・メール・アーティストに選ばれた。現在までのCDトータルセールスは170万枚超、カナダ・フランス両国においてプラチナ・アルバムを獲得した唯一のアーティストでもあるコルネイユはフランスをはじめとするEU諸国やカナダでは既にスーパースターとしての地位を確立している。
人道主義者としてカナダ赤十字のスポークスマン、05年にはユニセフ親善大使にも任命され、音楽活動を通じて現在も精力的に活動を続けている。
2007年、満を持して英語アルバムを発表、ここ日本を皮切りにそのスウィートでメロウなサウンドと、愛あるメッセージを全世界へ向けて発信。
コメント
心地よい歌声、曲調、最高です!!
明日アルバム買うぞっ